・左:渡瀬剛人先生 右:インタビュアー(風間友里加)
・文責:因間朱里、吉村眞生
アメリカで生まれて、一瞬日本にいたけどまた向こうに行って、その後ヨーロッパにもいたりして、大学でようやく日本に戻ってきたんですけどまたアメリカに行って、気付けば30年くらい日本以外に住んでます。浦島太郎です(笑)。
大学卒業後のアメリカではResidencyをしてました。学生の頃、「アメリカの医療はすごい」と噂を聞いていたので、じゃあちょっと見てみようと思って4カ月くらい臨床実習をアメリカでやったんです。日本と違って自分で患者さんを持たされてがっつり診療に関わったので、すごく大変でしたがやりがいがありましたし、教育も充実していたので、この環境で研修をやりたいと思って渡米を決めました。
完全に日本人でなくなってしまう前に帰ってこようかなと(笑)。こちらでは、同じくアメリカで救急をやっていた国際医療福祉大学の志賀隆先生と、日本で救急をやる人のネットワークを作りたいという思いでEMA※を立ち上げました。というのも、1人で救急をやっていた、とても優秀で人格者だった同期がburnoutしてしまったのを見て、すごく残念で……自分はER型救急をやろうと決めていたので、同じようにそれに興味を持つ医者がこうやって消えていくのが嫌だった。だから、孤軍奮闘したがゆえに燃え尽きる彼と同じような人が全国にいるんだろうと思った時に、自分にできることとして出てきたのが横のつながりを作ることでした。EMAは今では結構大きくなって、おじさんの自分はもう表舞台から身を引いていますが(笑)、その時の仲間に恵まれて今でもつながっているのは大きいなと思います。
※EM Alliance: https://www.emalliance.org/
ER型救急医の集まりとして2009年に発足。現在は日本の救急医療および研修医の教育・研究活動に貢献する事を目的に、Web・メーリングリスト配信と年2回のmeetingを主な活動としている。
アメリカにいる時はビール作りに力入れてました(笑)。それはさておき、今は日本に帰ってきて、日本の医療に慣れることが大事だなと思っています。今いる藤田(医科大学)の救急総合内科は、ER・ICU・GIMという3つの部署が1つの科として機能している面白い場所なので、そこでER責任者としてERの質を上げ、診療・教育・システムなんかを改善できるように頑張っています。
もうひとつは、学生をもっと巻き込むこと。アメリカではカルテ書いてプラン立てて手技もやるのが普通だったのが、日本に帰ってきたら学生が控室にいて何もしてないのを見て、これはもったいないなあと思ったんです。今では、5年生はまだ難しいですが、6年生にはがっつり患者さんを診てもらっています。学生という立場をもっと研修医に移行させてしまうというか、卒業して研修医になる頃にはもっと動ける研修医になってほしいなと思いますね。
最後に、これは長期的な構想になるけれど、もともとアメリカに渡ってER型救急を学びたいと思った背景に、東海エリアのER型救急に不満を持っていたところがあったんです。なので、日本に帰ってきて、まずは愛知県・東海地区を、大都市圏で成功した1つのER型救急のモデルにしたいと思っています。これにはもちろん協力してくれる病院を増やしたり、行政やプレホスピタルのレベルでの変革も必要だし、そう簡単にいく問題ではないんですが、愛知県・東海地区にはこれまでがっつり救急をやってきた大学病院がないというのが、残念な一方でやりやすい理由でもありますね。関東・関西には有名な大学がすでにあるがゆえに新しいことをやりにくいのが現状だけど、何もない場所に新しいものを作るのはそう難しいことではないので、愛知県でERモデルができたらいいなと思っています。
そうです。小学校の頃2年間だけ日本に住んでいた時も名古屋にいましたし、両親も名古屋に帰ってきているので。名古屋弁も少しずつ習得中です(笑)。