視点はひとつではない、という考え方は芽生えました。いろんな国に住み、いろんな常識に触れ、病院ではいろんな科があり、いろんな視点があり。相手が怒ったり理不尽なことをしてきたりしたら、「なんでかな」と立ち止まれるかな。いや、それでも怒る時は怒るんですけど(笑)。
多分それはアメリカの地域にもよりますかね。幼少期にいたニューヨークは様々な人種がいたので自分の特別感はなかったです。一方で大人になってから行った最初の5年間はオレゴン州のポートランドにいたんだけど、そこは8~9割くらい白人の街でした。でも、すごくリベラルな街だったので僕は大好きで、ビールもそこで学びました(笑)。その後行ったシアトルはいろんな人種がいたし、差別を感じたことはなかったな。むしろ、日本の医学部を出た人間なのに大事な仕事をやらせてもらえて、ありがたかったです。
シアトルで働いていた病院には色々な国の患者さんが来て、色々な社会的地位の人が来ていました。常に誰かが吠えていて、常に誰かが警備員さんに押さえつけられているような、ある意味excitingな病院でしたけど、それに比べて日本は平和というか、患者さんがみんな品がいいなあと思って見ています。あとは、薬物中毒の有無はかなり大きいですね。日本はすごくやりやすいです。
今のところはないです。ただ、アメリカの医師免許を維持したい気持ちはないわけではないので、外勤日を使う等してハワイかグアムで働けたらとは思っています。今はコロナ禍で実現できていないですが、また落ち着いたら行こうかなと。
大変だけど、それは研修医になっても一緒だからね。早く曝露されるか、後から曝露されるか、ただそれだけの違いです。しかも研修医に比べて学生は守られた立場ですから、43℃ではなくて40℃のお風呂に入れられて「ちょっと熱いな」というくらいの感じ(笑)。ふと気付くとすごく熱い、ということもあるとは思うんですが、そうやって何が潜んでいるのか分からないところが救急の面白さじゃないかと考えています。
ER型救急の診療の質やシステムは、まだまだ成長の余地があるので、そのレベルを上げることはひとつのテーマだと思っています。それがPassionにあたるんですかね。日本にも独自の文化ややり方があるので、アメリカのものをそのままそっくり持ち込もうという気は全くないですが、それでもハイブリッド的に日本のER型救急を変革していきたいです。
教育の面に関して言えば、日本の学生って総じてシャイですよね。でも、こちらから絡みに行くと食いついてくる学生は結構多い。だから、お客さん的な立場ではなく、チームの一員として関わってもらえたら大きなことかなと思います。そしてやっぱり、学生のころからER型救急という存在とその面白さに曝露されることで、ゆくゆくはER型救急をやっていってくれる人が増えたらいいなって。
まあ、進みたい科は自分で色々見て決めればいいんです。ただ、自分の可能性を狭めるような選択肢は辞めた方がいいんじゃないかと思う。自分がER型救急を20年前に選んだのは周りから反対もされたけれど、自分がやりたいからやってきたし、「できるかな?」というようなことに挑んでみたりして、いわゆるComfort Zoneから一歩出たところで頑張ってきたのは大きいなと思っています。可能性を狭めてしまうとそこで終わってしまうから、若いうちは可能性を狭めずに本当に自分がやりたいことをやってもらえたらいいなと思っています。
自分のやりたいいちばん大きなプロジェクトである愛知県・東海地区のER型救急のモデル確立はとても5年じゃ無理なので、10年・20年かけて進めていくのかなと思います。それにあたって自分の今の役職や仕事そのものへの執着はないです。
それか下手したら医者辞めてますね(笑)。身体を壊して心を病んでまでやることはないと思っているんです。自分は基本的に楽観主義なので、普通の人よりは神経図太いと思います。それでもあまりよくない方向に考えが向かってしまうことはあるので、そうなったらうまく気分転換してあげないといけない。そこができないとburnoutしちゃうと思うんです。burnoutして、干からびたミイラみたいになってしまったらもう元に戻れないので、溺れかかっている時に自分を救出しないとなと思ってます。それこそブルワリーやろうかな(笑)。