診療科が決められない時に思い出したのが、僕が医師になりたいと言った時教師だった祖母に言われたふたつの言葉です。ひとつ目が「世の中で『先生』と呼ばれる職業に就くのであれば、まずはろくな人間になりなさい」、そしてもうひとつが「お医者さまになるのなら、飛行機の中で『お医者さまはいますか』と言われた時に手を挙げられないような医者にはなるな」でした。それがずっと自分の中にあったので、病院の外で医者が必要な時に何もできない医者にはなりたくないと思った時に、まず浮かんだのが救急医という選択肢でした。学生時代の奄美大島での経験もあって、救急医療・島嶼医療をキーワードに探してたどり着いたのが多摩総合医療センターです。
さらに考えが変わったのは2年目でした。2年目の夏頃、「食べたい」「家に帰りたい」と言っていた患者さんの希望を叶えてあげられないまま、転院先の病院で転院したその日にその方が亡くなったということがあったんです。「自分はあの人に何をしてあがられたんだろう」と非常に落ち込み、続けて「これまで診た患者さんに誠意を持って関われていただろうか」「次に同じような患者さんが出てきたら自分は何ができるのか」という疑問を抱きました。この疑問は、急性期の病院にいる医者の多くが抱えています。帰りたくても帰れない、帰したくても帰せない。その原因は、帰る先に受け入れる人がいないからだという結論に至った僕は、今の急性期をよくするためには、自分は急性期の現場に残るのではなく、治った人が帰れる場を地域に作る必要があるという考えになりました。加えて救急の現場では、「この人に搬送は必要だったのか?医療者がもっと前の段階から関わっていれば自宅で最期を迎えられたのでは?」と感じる場面にも遭遇しました。研修3年目の三宅島の診療所では、そもそも病院に患者さんを送り込まずに済むために、プライマリ・ケアの重要性に気付きました。そういうわけで、治療が必要になる前段階と、治療を終えた後の両方の場面で、地域に医者が出るべきだ、と思うようになったんです。
「断らない救急医療・急性期病院」を真の意味で実現しようと思ったらそれは病院だけでは無理で、「断らない受け入れ先」がないといけない。だから僕は断らない地域医療を実現させたいです。地域に出たら患者さんからしたら近くの病院に行きたいし、なんでも相談したい。となると専門を持つより、すべての分野にある程度対応し、必要なら専門につなげられることが医療の本質的な意義なのではないかと思って、僕は地域の総合診療をしています。急性期への対立ではなく、急性期をよくするための地域の医療です。
ただ、専門にこだわりはなくて、「困っている人に手を差し伸べたい」だけなので、総合診療医ですらないかもしれないです。身体の問題でなくても、例えば経済的な問題だっていい。とにかく困ったことを受け止め、専門につなぐ窓口になりたいと思っています。
この考えを言語化できてきたのも最近のことですね。それこそ様々な活動の経験のおかげです。
Needsはもともと理学療法士の伊東と一緒に大学時代から任意団体としてやっていたものです。2016年末にNPO法人化したいという伊東の強い説得を受け、現在のようなNPO法人になり、共同代表を務めるに至っています。実は、どんなことをするか、特に明確に決めている団体ではなかったんです。だから最初は、自分が地域で実施した業種交流会の経験をもとにして、僕がいちばん初めにできるのは教育だろうと思い、教育を主軸に活動を開始しました。子どもと接するのが好きだったので、九州の中学校や幼稚園に打診して、無料の講演会をしに行ったら、意外とニーズがあったんです。ただ、その活動は単発でしかできなかったので、もっと学校教育に関わりたいという思いから学校を管轄する行政にアプローチし、北九州市・福岡市の助成を受けて1年間教育活動を続けました。
結果的に行政とのつながりができたことで、教育以外にも様々な委託をもらうようになっていったこともあり、それならば地元の医師会にも挨拶しておかなければということで、伊東が北九州市の医師会の理事の方にお会いしに行ったんです。彼が熱い思いをその方にぶつけた甲斐あってか、活動を応援していただけることになりました。しかもその理事の方の奥様が、保育・就労支援・高齢者支援などの活動を手掛ける社会福祉法人を率いられている方だったんです。現在は、その社会福祉法人さんを協同させて頂く形で、様々な事業をNeedsで行わせて頂いています。
実は、Needs単独でやっている事業はほとんどありません。僕は「専門職として自分が見ている課題が、社会の中では本当に課題としてとらえられているのか、やろうとしたことが真の意味で課題解決につながるかどうかは分からない」と考えています。課題というのは、困りごとを抱えている人たちの中にあるはずです。だからNeedsでは、「自分たちがやりたいことをやるのではなく、人材のギルド的な存在として周りと協働していくこと」を大事にし、つながりの中でその人が見ている課題を解決しようとしています。そうやって活動していると、いろんな方とのご縁を頂いて、今では多用な事業を手掛けていますね。
活動しているとつながりって増えていくものなんだなあと感じます。おかげでやっている活動自体はなんだかよく分からない団体になっていますが、「ニーズにきちんと応える」ことは一貫しています。何をやるか “WHAT” が重要なのではなくて、なぜそれをするのか“WHY”こそが大事だと僕は思います。Needsとしても、形こそ僕は共同代表ですが、僕はキャプテンにすぎません。メンバー全員スタメンとして、それぞれの課題発見を大事にしています。個人が課題に対して何もできていないと思うのではなく、その課題自体を見つけていることに価値があるのであって、課題解決のためにはNeedsという団体を呼べばいいんじゃないでしょうか。
規模は大きくなりつつもローカルに取り組むことは常に意識しています。組織は大きくなるとどうしてもばらけます。組織が一丸となるのに最重要なのは理念の共有だと思うので、メンバーとは繰り返し理念を確認しつつ、あとは全国各地でフリーに活動してもらい、団体としては責任を取ることだけを役割にしています。共同代表の伊東の言葉を借りれば「アメーバ」です。彼の場合は色々なところにくっつくことで初めて形になり存在できる、ということなのですが、僕にとってはメンバーや時代にあわせて自由に形を変えられることが「アメーバ」かなと思っています。「困りごとある場所にNeedsあり」というか、組織という枠でくくられる存在ではなく、点としてつながる団体として、今後やっていきたいですね。
こんな風に色々やらせてもらっていますが、実は自分から進んで取りに行くことはあまりなくて、その場その場であるものに対応していく感じです。「何かあった時に声をかけやすい存在」として、みんなの窓口に僕やNeedsがなれればいいなと思っています。こんな感じでNeedsの説明になってます?(笑)