本質的には何も変わりません。病院の中ではやれなかったことを地域に出てやりたいと思ったし、いまのクリニックにとって、地域にとって必要なものに応えたい・恩返ししたいという思いがあるからこそ、研修が終わってからも東京に残ったという経緯があるんです。そこは意識しているので、いわゆる医者としての役割にこだわらず、自分がその空間で何を求められているか常に考えていたいと思っています。
あとは、外で色々なことをするからこそ、診療を提供する医者としてちゃんとしていたいです。今の社会には「医者はこういうことをする人」というのがあるじゃないですか。僕からしたらあらゆる活動は「困っている人を助ける」ことにつながっているので違いはないんですけど、それでも社会から期待されている役割は確実に果たしてこそ様々な活動に説得力が生まれるんだと思っています。患者さんの前に出る医者としてきちんとするために、貪欲に、しっかり時間を割いて学ぼうと思いますね。
医者も所詮「進谷憲亮」という人間の一部にしか過ぎません。もちろん、医者という専門職は誰でももらえる仕事ではないですから、自分の特殊性のひとつとして大事にはしたいですが、そこに固執すると、僕は進谷憲亮じゃなくて「医者」になっちゃいますからね。医者は進谷憲亮の仮面のひとつにしかすぎません。
進谷憲亮として求められることがあるのであれば、僕は医者かどうかとか抜きにして関わりたい。ただ、今の社会のラベリングに対抗したいわけではないんです。個性偏重になってしまうと、僕の大嫌いな対立構造が生まれてしまいます。お互いを認めて生まれるグレーの中でこそ成長できるはずなのに、白黒つけるのはある意味保身だと思っていますね。だから対立が見えた瞬間に、僕はグレーを取ります。グレーにいるとどっちつかずと言われたり、状況が不安定で不安になったりはしますけど、僕は「不安を居心地がいいと思い続けよう」と決めています。善悪・正誤は社会が決めるものであって、絶対的な価値を作ることで得られる安心があるからこそ人はそこによりどころを求めようとするんだと思いますが、僕は正しいも間違いもなくていい、みんな不完全なんだからみんなで学びあおうよ、って思い続けていますね。自分と違う人を見ると、「なんでその考えになったの?」と強い関心を抱いてしまうのは、昔から変わっていないですね。
「困っている人に手を差し伸べる」というテーマも、白黒つけた瞬間に達成されなくなっちゃうんです。例えば高齢化社会における延命治療とACP(Advanced Care Plannning)に関する議論も、「どっちが正しいか」という白黒つけたい社会が片方に振り切れようとしている結果だと思います。でも僕は、ギリギリまで可能な限りの医療を受けたい人も、人生に悔いはないから治療は一切希望しない人も、どっちもその人の価値観だと思うんです。だから僕はグレーにいる人間として、白の中にいる人にも黒の中にいる人にも、「その人」というパーソナルさを大事にしながら寄り添おうと意識しています。
例えば「ローカル」という言葉がありますけど、一見地域の課題に寄り添っているように見えて、やっぱり集合体でしかとらえられていないと思うんです。地域の中には「困っている人」がいるのに、集合体として考えると一人ひとりの困りごとを平均値的に見ることしかできず、個人がとても見えにくくなってしまう。だから、僕は個人を診ることを、「その人」に手を差し伸べることを大事にしています。
まさしく!5年後について訊かれたらどうしようって、一瞬ものすごく悩みました(笑)。
今年はゼロスタート。いままで東京でしか働いた経験のない人間が、育った場所であるとはいえ北九州に戻るわけです。環境が違えば価値観も状況も異なるから、「何をやりたい」は持ち帰らず、「僕に何ができるんだろう、求められるんだろう」を考えながら、まずは与えられた仕事を淡々とこなすことになるのかなと思います。これまでに得た価値観を大事にしつつもそれに左右されるのではなく、初心で帰ってありのままの北九州と向き合いたいですね。
5年経ったら、何をしているか、 “WHAT” は変わっているかもしれません。でも、点と点がつながった瞬間の新たな価値創造にこだわって、今まで関わってくれたすべての人たちに何かしらの形で必ず恩返しをし続けることは、それこそ死ぬまで続けると思います。