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覚悟と準備、そして初志貫徹の先につかんだ、アメリカでの小児神経科医としてのキャリア
―Dr. 成相宏樹―

2021/9/8

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・左:成相宏樹先生 右:インタビュアー(風間友里加)
・文責:因間朱里、雪上晴加

成相宏樹先生(Assistant Professor of Pediatrics in the Division of Pediatric Neurology at UCLA)
アメリカで小児神経科医として12年間活躍されてきている成相宏樹先生。二度の留学で受けた衝撃から、医学部6年生の時にアメリカで医師になることを決意し、それを実現してきた先生は、「本当に心の底からやりたいことを信じること」「自分の選択に言い訳をしない覚悟を持つこと」「自分を信じて準備を続けること」が大切だと言います。学生時代の決意を叶えてきた成相先生のお話には、将来の進路を考えるヒントがたくさんつまっていました。

□■ いいお医者さんが一生懸命働くと多くの人を助けられる、じゃあ自分がやってやろう

--成相先生は現在アメリカにいらっしゃるわけですが、そもそも卒後何年目でいらっしゃいましたっけ?

 2005年卒なので、えーっと、16年目ですかね?普段あんまりそういう考え方をしないからすぐ出てこない(笑)。アメリカに来てからは12年目くらいになります。

--先生の最近の活動としては、研究に力を入れていらっしゃるんですよね。

 そうですね。UCLA(University of California, Los Angeles)医学部の、小児科のAssistant Professorというのが現在の立場です。その中でも所属はDivision of Pediatric Neulorogy 小児神経科になります。
 日本もアメリカも同じですが、だいたいの大学病院は臨床・研究・教育の3つの役割を持っています。その中で、人によってその3つの割合が異なるわけです。僕の場合、UCLAのスタッフになってから3年目になるんですが、最初は75%研究+25%臨床で始まりました。最近は同僚が辞めたりした結果、研究と臨床が半々くらいになっています。
 ここからは日本とアメリカで異なる点だと思うのですが、日本の小児科の先生って、小児のあらゆる領域の疾患を診るじゃないですか。でも、僕の場合は小児神経疾患しか診ていないんです。救急外来に来た子どもを診察するというのは一切やっていなくて、例えば「けいれんを起こした」とか「脳梗塞が起きた」といった小児神経のイベントが起き、研修医が僕に電話をかけてきて初めて対応に向かいます。しかも僕の場合は、小児神経の中でもてんかんの専門家なので、限られた臨床の半分以上ではてんかんを扱っています。簡単に言えば脳波を読んで臨床方針を決めるとかですね。あるいは、てんかん外科といって、薬物治療の効果がない患者さんのコンサルテーションを受けて手術室に行き、外科医と相談して切断する部位を決めることもあります。
 今まで臨床の話をしてきましたが、研究の話に移ると、僕の場合は基礎研究ではなく臨床研究をやっています。てんかんの患者さんの脳波を取ってきてコンピュータで解析し、薬が効きにくい方だとどういった脳波が出るかといった、特徴的な波を見つけることをしています。あるいは、先ほどもお話したてんかん外科の手術に関連して、言語野のように切ってはまずい部位を把握するのは大事なわけですが、それをどうやって確定させるのか、方法を探る研究もしています。
 臨床、研究ときて最後に教育については、いわゆる講義室での講義というのはほとんどないですね。基本的には僕が病棟当番をしている時に、やってきた医学部の学生にベッドサイドティーチングをやるのが教育への関わり方かなといったところです。

--小児科の中でもかなり神経の方に特化されているんですね。

 アメリカでももちろん場所によるんですが、やっぱりUCLAのようなレベルの施設だと同じようになりますね。専門をやっている人はものすごくものすごく専門が細分化されてます。でも実は一般小児科 General PediatricsというDivisionもあって、そこにいる人はいわゆる一般小児科、すなわち外来・プライマリケア・定期健診・予防接種だったり、ヘルスケアアドバイスや、恵まれない人たちへの医療提供に関する研究・社会活動をしていたりします。

--それってアメリカだからなんでしょうか

 確かに、日本では小児科を専門にしている病院に行っても、アメリカに比べると専門家の先生の数はそんなに多くないと思います。しかも、日本にいる専門家の先生であっても、やっぱり普通に当直を回して、月に何回かは全般的になんでも診る、というスタイルでやっている人が多いです。でもアメリカの大学病院では、専門に特化した感じになってきます。人数の違いはあると思いますね、日本だと小児科医の数がそれほど多いわけではないですから。

--先生の研究内容についてもぜひお話いただきたいです。

 脳波って読んだことありますか?例えばてんかんの子どもがいるとして、電極を頭につけると、波がわぁって出てくるじゃないですか。で、医師はそれを見て難しい顔しながら波を見て、「ここが悪い」「あそこが悪い」とかってレポートを書く。何を見ているかというと、どのチャンネルのどこにspike 棘波が出ているかなんですけど、それがてんかんが原因かどうかを判別してるんです。でも実は、脳波が読める医師10人に読影を依頼すると、10通り答えが返ってくるような世界で、読む人によって評価がとてもばらついて決して一致しない。驚きますよね、それで成立してるんです。僕もずっと「これでいいのかな?この人こんなこと言ってるけどどうなのかな?」という疑問はうっすら抱いていたんですが、アメリカに行ってもそれが変わらなくて。じゃあ、コンピューターを使って、脳波を客観的に解析したら、誰がやっても正しいというか、同じような結果になるようにできるんじゃないかと思って。コンピューターであれば、人間の目では見えないようなすごく速い波も見つけられるんですが、実はそれがてんかんの原因箇所に出ている、ということを、小児のてんかんに関して研究して突き止めようとしています。結構論文もいっぱい出してきて、研究費もつけていただいてます。要は、コンピューターで解析して、誰が見ても客観的に脳波を評価できるようにすることが最終目標です。

--先生がいちばんやりがいを感じるのは臨床ですか、それとも研究ですか?

 どっちもです。僕がやっているのは臨床研究なので、患者さんがいないと成り立たないものですし。そもそも研究というのは、臨床現場で抱いた疑問から始まるんですよ。さっきもお話しましたが、いまの方法ではあまりにも不確実なのではないか、ではてんかんの患者さんを脳波を用いて適切に評価するのはどうしたらよいのか、という疑問から出発して、じゃあこうしたらうまくいくのでは?という仮説を立てて研究する。だから特に僕の場合は、患者さんがいないと決して成立しない研究だと思います。

--そもそも先生はどうしてお医者さんを志されたんですか?

 数学とか物理とかが好きだったので、理系でも工学部とかの方に行こうと思ってたんです。でも、高校3年生の夏くらいに、結構元気にしていた祖父が、突然調子が悪くなって肺炎で亡くなりました。そこでなんというか、うーん…そうなるとお医者さんと話す機会が出てくるじゃないですか。多感な時期にお医者さんと話したことで、「お医者さんってすごく大事な仕事だな」と思うわけです。いろんな人に影響を与えられるし、いいお医者さんが一生懸命働くと多くの人を助けられるというか、なんかそんな感じがしたんですよね。で、数学とか物理とか、自分が好きで楽しいことをやってもそれがどういう風に直接的に世の中のためになるのかのイメージがあんまりわかずに悩んでいた時期だったのもあって、そこで急に「あ、じゃあやっぱり医学部受験しよう」と進路を変えました。3年生の夏から秋ぐらいにかけての時期だったと思います。お前何言ってんだって感じですけどね(笑)。

--そのお医者さんとのいい出会いがあったからこそなんですね。

 いや、逆なんです。元気だった、昨日までピンピンして歩いていたような健康だった人が、80歳くらいまで普通に問題なく日常生活を送っていたのが、突然寝たきりになっちゃったような状況だったんです。もしかしたら医療ミスだったんじゃないかというくらい…それで、お医者さんってみんなちゃんとしていて、説明もしっかりしてくれて、何か問題が起こればすぐに治してくれるイメージだったのが、そうじゃなかったのかな?になってしまった。それだったら自分が医者になって、しっかりそういう人に対応したい、という思いが当時は強かったです。
 一方で、実は僕自身が生まれた時は、1500gくらいのものすごい未熟児で、大学病院のNICUに1ヶ月くらいいて大変だったらしいんです。その時のお医者さんは本当によくしてくださったと母から聞いていたので、「お医者さんって素晴らしい」というイメージがあったんんだと思います。おじいちゃんを診ていた先生と母の話とにギャップがあったことがショックだったから、「じゃあ俺がやってやろう」という思いで目覚めたところもありました。もしかしたら未熟児だった自分を診てくれていた先生に対して「自分のことをしっかり診てくれてありがとう」という思いがどこかにあるのかもしれません。

--もしかして、だから今小児科医になられてるんでしょうか。

 うん、あるかもしれないです。あと、小児科は頑張りがアウトカムに直結するというか…僕、初期研修のスーパーローテート方式の2年目の代なんですけど、そこで内科も小児科も産婦人科も色々回るじゃないですか。もともとは神経科学に興味があったので、神経内科や精神科を考えていたんですが、日本はいま高齢化社会ですから、内科にいると90歳、場合によっては100歳とかの人たちが来て、なんなら本人も「治療しないでくれ」とか言うのが僕にはつらかった。一方でスーパーローテートで小児科を回った時に、目の前に来た患者さんをみんなが全力投球して助ける感じがすごくいいなと思って、結局小児神経を選択しました。
 今でも神経内科は好きですし、とても大事な学問だと思ってますよ。日本の小児神経科医って神経内科をきちんとローテートしないので、神経診察だったり、Neuron Anatomy 神経解剖の概念がちょっと弱いかなと感じる部分があります。それがアメリカだと小児神経内科医も基本的に神経内科もしっかり回って、同じ試験を受けるんです。神経内科医としてもやれるようなトレーニングをしっかりしてくれるという点で、僕はアメリカのトレーニングシステムが結構好きです。

--小児科の中でも神経に特化しようと思ったのは、日本にいらっしゃる間ですか?それとも渡米して研究を始められてからなんでしょうか。

 
いやあ、渡米する時には完全に決めて行きましたね。医学生の時に、基礎配属という形で研究室に行くのがあったんです。そこで僕が行ったのが、岡野栄之先生という、慶應大学の医学部長を務められていたこともある先生のラボで、そこでNeuroscienceの面白さを見せつけられました。そのおかげで学生の時は漠然と神経内科を考えていたんですが、先ほど言ったように、初期研修中に小児神経の方がいいかもしれないと思い始め、渡米時点では自分の中で固まっていた感じです。
 神経内科から小児にアプローチするのではなく、小児科から神経領域に行った理由は、子どもを診る方が楽しいかなと思ったんですよ。つらいこともあります、もちろんです。神経難病の子なんかは本当に治らないし。でも、感覚的に、患者の90%以上は治ると思いますよ。例えば脳梗塞でも、子どもの脳って可塑性がすごくあるので、結構治るんです。すごいですよね。クロイツフェルト・ヤコブ病やパーキンソン病といった、どんどん悪くなる病気が多い大人と違って、子どもは元気になりやすい。子どもの方がレジリエンスがあるってことなんですかね。生命力があって前向きに生きている、その姿に元気をもらって頑張れます。