大学4年生の時に基礎研究をやって、研究も面白いなと思っていたので、日本で研究を中心にやってもいいかなって思ってたんです。でもその人生を変えたなと思うのは、大学4年生の終わる頃だったかに、赤津晴子さんという、当時ピッツバーグ大学にいらした、今は国際医療福祉大学の研修センター長をされている先生に出会ったことです。赤津先生は当時、日本の医学生とアメリカの医師・医学生の交換留学をさせる、ピッツバーグのジャパンプログラムというものをやっていらして、僕はその一員として1週間くらいピッツバーグに行ったんです。その時に、向こうの学生と同じようにクラークシップに送り込まれて、朝4時から外科病棟に行ったり採血やラウンドをしたりする中で、「アメリカの医学生ってこんなに働いていたのか、しかもめっちゃできるじゃん」とカルチャーショックを受けました。それこそ「なんじゃこりゃー」状態(笑)。すごい優秀な人ばっかりいるのを見て、日本の医学生はこれでいいのか?と衝撃をくらって帰国し、自分は帰国子女でもないしこれはまずいと思って、英語とUSMLEの勉強を始めました。
それで6年生の時、ニューヨークのコロンビア大学に2カ月間、リベンジという思いもあってクラークシップをやりに行きました。かなり準備をしていたこともあり、意外とやれるかもしれないという自信がついたのも事実なのですが、それ以上に衝撃的だったのは、大学病院に来る患者さんになると、名前も聞いたことのないような疾患、それこそ論文を読んでも世界で数例しかいないような疾患のの方がたくさんいらっしゃるということでした。あるいはcommonな疾患であっても、最先端の治験を行っているから、教科書とは全く違う治療をしているんですよ。そうした光景を目の当たりにして、「これは教科書や論文を読んでいても全く追いつけない、アメリカにいないと最先端の医療は学べないのではないか」と、二度目のショックを受け、これは本当にまずいと思い、卒業してから2, 3年経ったらアメリカに行こうと本気で考えるようになったんです。だからその時には渡米は決意していましたね。
どうですかね、あまり何も考えてなかったですね。若さゆえというかなんというか、とりあえず行くぞ!なんかやってやる!という方が完全に勝ってました。
でも、ひとつ言えるのは、家族の支えってすごく大事だと思うんですよね。僕は研修医の時に同期と結婚して、彼女もいま一緒にこちらで小児科医をやっているんですが、ふたりで一緒に試験勉強をしたり、一緒に頑張ってこられたからこそ長続きしているっていうのもあるのかなと。若い人たちにはなかなか分からないかもしれないんですけど、でも自分だけのためにひとりで頑張るって結構難しいです。家族がいるからこそ、「自分がしっかり頑張って幸せにするぞ!」と思えるし、その方が頑張れると今でも感じています。
ちなみにアメリカの生活でもしかしたらいちばん違うのは、家族と過ごす時間が多いことかなと思います。病院がシステムとしてすごく効率的に動いていて、仕事が終われば帰るから医者が病院にずっといることはないですし、仕事がなければ別に来なくていいから土日は当番の人以外いないですし。自由主義の国で、みんなすごく家族を大切にするので、休みもかなり取れる。家族と一緒に過ごせる時間が多いという面で、僕はアメリカはすごくよいなと思います。
そうですね、いろんな国があるとは思うんですけど、論文を読んだり研究に携わったりする中で、やはりアメリカの存在感は別格なんです。研究費の額も全然違うし、論文もアメリカのものに出くわす確率が明らかに高い。基礎研究にしても臨床研究にしても、アメリカは質でも量でも圧倒的に強いです。昔はヨーロッパの医学が強かった、例えば日本だってドイツから医学を持ってきましたけど、ドイツに留学しに行った外科の先生曰く、アメリカとはどんどん差が開いてきているのが現状なんですよね。だからやっぱり行くならアメリカだろうと思っていました。
どうなんだろう、仕事という意味では、医学部6年生の時に渡米を決意したとはいえ、まあ行ければいいかなくらいに思ってたんです。だから、実際にここまで来られるとは思っていなかったし、初志貫徹でここまで頑張ってよかったなと感じます。
こっちに来てすごく楽しいんですよ。ひとつ例を挙げれば、日本で全くやっていないような治療の臨床試験に、UCLAの代表として関わらせてもらってます。てんかん外科のデバイスで、RNS(Responsible Nerve Stimulation)というのがあるんです。これは結構すごいアイデアなんですけど、機械を脳に埋め込んで、痙攣が発生したら機械が自動でてんかんの波を検出して、電気刺激を送って痙攣を止めるClose Roop Systemというもので。てんかん外科で扱うにあたって、切除の難易度がそこまで高くない部位であればいいのですが、半分くらいの症例では、ここを切ってしまうと言語野が傷つく、右利きの人が右手を使えなくなってしまうみたいな、後遺症が残る部位にてんかんの原因があるんです。そういう場合にはRNSを埋め込むことで治療ができる。日本ではやっていないような最先端のことに自分が実際に関われるというのはやはり素晴らしいことです。今のところとても満足しています。